裁判の記録読むのが割と好き

今日は市橋被告の裁判だったのでこれさっきまで腹ごなしに読んでた。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/516155/

悪趣味と思われるかもしれないが、凶悪な犯罪者が何を考えているのか、いつも気になって読んでしまう。

押尾被告は完全に遊びがすぎたのだなと思った。

市橋被告に関しては、計画的な犯行だったとしか思えない。

何しろ被害者を拘束するための道具を全て用意してあったのだ。

計画的な犯行ではあったが、なぜか死体の処理が適当。いずれ殺すつもりだったのか、それともずうっと束縛できると思っていたのか?その辺が頭の悪さというか夢みがちなところを思わせる。

一応彼としては、死体が腐乱して土に返っても異臭を放たないよう、消臭剤などを買っていたようだ。だがそれもちょっと考えが甘い。どのみち仕事をしている若い人間がいなくなれば周りはすぐに気がつく。

考えは甘いが、計画性はかなりある。逃走時に捜査員にペットボトルを手渡すなど、用意周到。普通逃走する時なんて、そんなこと考える余裕があるはずがない。

彼の中での理論は通っていた。

ひとりで、全部やりきれると思っていたのだろう。机上の理論上ではね。

だけど、彼はひとりだった。相手はたくさんの警察官。

なぜ、巨大な組織からは逃げ切れないと気付かなかったのだろう。単純に言えば、世間をなめていると思う。もちろん逃げ切ったやつだっているかもしれないが、確率はものすごい低いし、おおかた組織的な犯行だろう。

彼がニートでありつづけた理由はそこだったのだろう。

社会に出ればいいとは言わないが、社会に出ることで、人間はほかの人間と協力せざるを得なくなる。嫌なやつなんかたくさんいる。イイ奴もいる。だけど、そこで、どう自分を持つかということを常に問われる。

彼にはその経験がなかったのだろう。

なんでも、自分の思い通りになると思っていた。ならないこともあるとわかっていたが、甘かった。自分の狭い理論の中でやりきれると思っていた。

実際2年間逃亡し続けたわけだが、もし、犯罪を犯さずにそのような旅に出たら…?

全く違う人間になっていたと思う。その点がとても残念だ。

なぜ、犯罪を犯すまで、そのモチベーションが起きなかったのだろう。

彼はこの罪を償うことはできないだろう。被害者はまっとうな若い人間。恐ろしいことをやってしまった。おそらく恐ろしいことをやっているという意識も無かったのだろう。

それが彼の最大の罪だと思う。