自分の絵の傾向についての考察
私はWEBデザイナーという仕事をしているが…
必要に応じて挿絵を描くことも引き受けている。
今回は、宴会用のイラストを描くことになり
AKBの女装をして酔い歌い踊るおっさんたちを描くはめになった。
こうやって描くと「あさばさん困っているのでわ。」とみんな思うらしいのだが
そこは私、なんとかして切りぬけてしまうのであった。
だが、そこで同僚にいただいたコメントを記録しておきたい。
「毒の無い絵」
と言われた。実に万人受けするまともな絵だと、NHKで使えそうなイラストだと言われた。
ちなみに高校生の時授業用に描いた絵は、「意外と、まともな絵、描くね…」と言われた。
ネットや同人誌で発表する絵には、大体「可愛い絵」「癒し系」と言われる。
問題はひとつ。
私の本来の人格と、絵から受ける印象が全く異質であるということだ。
かつてお付き合いしていた男性に、「それはあさばさんが優しいんだよ!ほんとは!」と教科書みたいなセリフを言われたが、どうにも軽過ぎて信用できなかった。
問題は、自分の中ではさてどう判断するべきか?
自分はどっち側の人間なのか、自分でもわからないということだ。
ほうっておけば、どっちかっていうと毒のあるほうの人間になってしまう。
およそ絵の雰囲気からはかけ離れている。
昔クドカンの悩み相談室が面白いので読破していた時に、「外見と性格が異なるのは誤解を受けやすいから、本来は外見に合わせるべき」とクドカンが答えていた。
でも私は思うのだ。ギャップっていう言葉がある。
それが正しいかどうかはわからないが、ギャップがあるからこそ人間らしいともいえるのではないだろうかと。
「ギャップ萌え」が正しいとは言わないよ。ただ、自分はギャップのある人間として育ってしまった。
原因は大体わかってる。自分が積み重ねてきた人生が、素質とかみあってそういう風に形成されたのだ。
たとえば大地を川が削ってグランドキャニオンができたわけだけど、私がそういう異質な風景を作っていたとしても、仕方のないことではないか?
グランドキャニオンは異質な風景だからこそ高く評価されている。
私もグランドキャニオンみたいになれたらいいのに。
話がぶっとびすぎました。
結論からいうと、絵と性格にギャップはありますが、どうしても直せないみたいなので、しばし気にしないことにします。
他に気にしなきゃいけないことがたくさんあります。
それにこれを直す、となると…もっと時間が必要かもしれない。
それに…良い方の人間を演じきる余裕も自信もない。
2011/11/09 01:26 | DIARY