映画「シラート」とは何だったのか

米国アカデミー賞ノミネートを始め、数々の賞を獲得している本作品。どのくらいすごいのかと見に行ってみたものの、終盤の謎展開といい、解決されない課題といい、何が評価されているのかわからず、ふわふわと謎に包まれたまま、帰宅の途に着いた。ただ、絵面がとても美しいことだけは本当に否めないし、音響が素晴らしいことも間違いない。

電車の中で、いつも私は映画を反芻する。

そして、もしかして、と思った思想を書き留めるのである。

前提としての知識

この謎映画を見る前に知らなければいけない知識は以下のみ。

シラートとは

イスラム教において、最後の審判で地獄の上にかかる細い橋のことを言う。これは実際に、映画の終盤で出てくるが、厳密に言うと橋ではない。

スーフィズム

世の中の考察を見ると、「スーフィズムを理解していなければわからない」というものがあった。それもそうかもしれないが、世の中の全ての人が理解している概念ではない。ただ、スーフィズムは根本的には概して難しい話ではないと思っている。多くの宗教と共通した思想だ。修行により自我を滅し、神との神秘的な合一を図る。瞑想とも捉えられる考え方で、仏教にも通ずるものがある。

つまり全編において、キリスト教ではなくイスラム教の思想に満ちており、カーバ神殿の映像も映し出される。が、その本質的にはやはり自我の忘却、煩悩を捨て、欲を捨てよというメッセージが込められているように思う。

※ここから先、ネタバレあり

結論から言うと、シラートと言う映画は

「人生」を表していると思った。

もちろん全ての人間の人生がこうなるとは限らないだろうが、あまりにも共通点が多すぎる。

まずは冒頭の「レイヴパーティー」が中断されるシーン。

「踊っているだけなのに、何が悪いの?」おっしゃる通りである。踊ることには何も悪いことはない。若い頃は、みんな踊りたい気分だったろうし、実際私も踊っていた(今も週一ジムで踊る)。

だが、突如として、「政府」と言うシステムにより、レイヴパーティーは中断され、「用意された安全な道」を通って帰途に着く。これがつまり「就職」などを表しているのではないか。そこはずっと監視され続けるのだが、主人公とレイヴ運営者の1グループがその安全な管理された道から逸れる。

このような経験をした人は、おそらく視聴者の中に半分くらいはいるのではないだろうか。

私も安全で退屈な道が用意されていたのに、管理されることが窮屈で苦痛になり、何度か道を外れている。

その道中は、映画で観る通り、実に危険で険しく、誰にも安全が保障されない困難な道のりである。主人公は何の罪もないのに、一番大事な息子を亡くし、途方に暮れる。砂漠でのたれ死のうとするが、仲間に助けられてしまう。そんなことも人生には何度かあるだろう。死のうと思っていたら、ふと助けられたりする、あの感覚だ。

映画には何度も、「絶望と希望」のような言葉も出てくるが、セリフは短く、具体性がない。

クライマックスの「橋を渡る」シーン

厳密にいうと橋ではない。

政府から危険だと言われた場所を通る主人公たちは、突如地雷原に迷い込む。何人か仲間を失った後、地雷を埋められない岩の方に移動しようと主人公が言い、何の躊躇もなく岩の方に歩き始める。そして難なく岩に辿り着くのだが、それを追った仲間は同じ道なのに見事に爆破されてしまった。

このシーンがこの映画で最も不可解なシーンである。馬鹿馬鹿しい、真面目に受け取るものではないと思う人もいるだろう。だがこの「不可解で理不尽な」シーンこそが、映画のテーマなのだと思う。

つまり、欲を持って橋を渡ろうとすると殺される(地獄に突き落とされる)。無心で渡ると生かされるのである。

では主人公は天国へ渡れたのだろうか?

ここが最大の疑問ではあるが、最後に「敷かれたレールの上を走る難民だらけの列車」に主人公たちが乗っているシーンで終わる。

これが実につまらなさそうなのである。

主人公は娘を見つけられず、息子は失っている。生き延びた仲間も大切な仲間を数人失って茫然自失。どこにも笑顔がない。

つまりこれが人生なのだ。

認めたくない、目を逸らしたい、現実という絶望がそこに転がっている。

だが、私はそれが悲しいことだとは思わなくていいと思う。

生きることを選び、生かされたのだ。

夢を見てはいけないということではない。道を外れて遊び呆けようとすると、どこかで死ぬ危険性が伴う。夢は、地道な努力の上に叶えなければならない。

そのようなストイックなメッセージを感じ取った。時代には合っていると思う。アメリカも、私が子供だった頃のイケイケな雰囲気はあまり見られない。起業して大金を稼げるのはやはりアメリカかなとは思うが、やはり、成功する起業家というのは多大な泥臭い努力をし、時間を投資している。

踊っているだけでは、天国へは至らないのだ。